2015年01月23日

【日本と基督教の責任】統一教会人拉致監禁と後藤健二・イスラム国人質事件の同時性

PicsArt_04-03-11.29.51.jpg한국어
今回、「イスラム国」の人質になった国際ジャーナリスト・後藤健二氏(47)は、「日本基督教団」田園調布教会所属の信者であり、「日本基督教団」は正に日本統一教会人の拉致監禁・強制改宗を仕掛けた張本人でもある。


去年11月13日、日本統一教会の後藤徹氏は、自分を12年5ヶ月間拉致監禁した松永堡智(やすとも)牧師と宮村峻(たかし)氏などを告訴し、最終的に勝訴したが、松永牧師は他ならぬ「日本基督教団」と密接に繋がっている「日本同盟基督教団」新津(にいつ)福音キリスト教会所属であった。

それでは、なぜ「日本基督教団」が拉致監禁や強制改宗行為を行ったかについてその背景を調べて見ることにしよう。

第二次大戦後、米軍による日本の民主化政策に従って、戦時中に合同教会に統合されていた「日本基督教団」から、様々な教派が枝分かれした。更に、左翼系の牧師と学生が教会に入り込んで「教会派」に対抗する状況になった訳である。

1969年、やがて「日本基督教団」山手教会で開催された第16回臨時総会では、「日本基督教団」は信仰義認、三位一体、聖書正典などを否定し、イエスがキリストであることを否定するに至ったのである。

そして、左翼系は「日本基督教団」の東京神学大学さえも乗っ取り、この大学から輩出された牧師たちの呼びかけによって、1988年から教団を挙げて反統一教会活動に取り組むことを決議した。統一教会に対する拉致監禁の被害が増えたのも、正にこの時期からだった。

2002年、ようやく「日本基督教団」総会の議長になった「教会派」の山北宣久(のぶひさ)牧師は、2006年度の総会で、教会派と左翼が対立した過去40年間を「荒野の40年」と定義した。

一方、同年5月に統一グループの理事長に就任された文國進氏は、その後から拉致監禁対策に強力に取り組み始めた。

1941年に成立した「日本基督教団」は、天によって準備され、文鮮明先生が日本留学中(41年~43年)に下宿された「新宿区西早稲田一丁目」のすぐ隣の「新宿区西早稲田二丁目」に位置していた。

しかし、残念ながら第二次大戦後、信仰を全うするよりも保身主義の罠に捕まってしまい、何よりも組織の維持を優先したあまり、結果的には、40年間サタンの侵入を受けざるを得なかったのである。

その結果、今回イスラム国によって人質になった後藤健二氏のみならず、2004年10月にアルカイダによって犠牲になった日本人青年・香田証生(こうだ・しょうせい)さんも同じ「日本基督教団」の信者として摂理的な犠牲物になったのである。

Waseda.jpg

posted by cigtimes at 00:00| Comment(0) | 섭리스페셜 摂理スペシャル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください